1968年6月スタンフォード大学、政治学部卒業。
1965年、スタンフォード大学在籍中に、慶応大学へ特別交換留学生として初来日。
大学卒業後、1969年再来日、慶応大学インターナショナルセンター、日本語コース修了。
以来一貫、日米を通じたスポーツビジネスに身をおく。
1972年、20代でカルフォルニア・リーグのAクラス球団、ローダイオリオンズのゼネラルマネージャーを務め、CA(カルフォルニア)リーグの「エグゼクテイブ・オブ・ザ・イヤー」に選出される。1974年、福岡にて太平洋クラブライオンズの営業開発促進室室長として活躍、その間、ちびっこ友の会、レデイ-スナイター、身体障害者の為の球場アクセスの改良と無料招待、など、今となっては当たり前のである現在の日本プロ野球球団のファンサービスの原点を日本へ持ち込んだ。球団マスコットとして本物の赤ちゃんライオン、ララちゃんを平和台球場に登場させた事は、今でも語り草である。
又、ジム・ラフィーバー、ドン・ビュフォード、フランク・ハワード、といった大リーグスターを日本のチームに獲得するのにも尽力。その後、株)デサントでの仕事を皮切りに、日本におけるスポーツライセンスビジネスをスタートさせ、NCAA、MLB、
NBA、NHLなど多くのライセンス契約を成功させる。個人事務所ISMAC設立後は、
スポーツエージェントとして選手のマネージメントも多数てがけてた。かつての顧客には、ジミー・コナーズ、ランデイー・バースなどが並ぶ。日本語をいかし、自らもテレビ、ラジオでスポーツ解説を始め、また、日本のTV局へのアメリカのスポーツ番組の買い付けを行い、日本にアメリカのスポーツを紹介する一役をかっている。NBAバスケットボールの日本での最初の紹介者でもある。
1990年からは、米国のマイナーリーグ(2A)バーミングハム・バロンズ(1994年マイケル・ジョーダン在籍チーム)で、株)サントリーとの共同オーナー兼、現地球団社長を務め、この間、チームは、サザンリーグ優勝、観客動員数30万人以上を達成している。
キーナート自身も、高校当時は、カルフォルニアエンジェルスにスカウトされた程の腕前の野球(キャッチャー)、(MLBにはいかず、大学へ進学)アメリカンフットボール、バスケットボールを12年間、また日本でも社会人アメリカンフットボール、ラグビーなど多くのスポーツを日米で実際にプレイしたスポーツマンであり、日本における最初のスポーツバーの元祖創立者でもある。
滞日40余年、流暢な日本語をいかし、ビジネスとプレイヤー両方の実経験から、日本のスポーツに鋭く切り込むスポーツジャーナリストとしても活動。特に野球への情熱は熱く、20年以上前より、日本プロ野球のシステムに警鐘を鳴らし続けてきた。日本の「筋肉流出」、イチロー、松井のメジャー進出をいちはやく予言していた一人である。その感動を生み出すプレイヤーたちとスポーツをこよなく愛し、日本のスポーツ界をよりよくしたい熱い想いにあふれている。
2004年10月には、新球団、「東北楽天ゴールデンイーグルス」初代ゼネラルマネージャー就任。
2005年 東北大学特任教授就任
2009年 仙台大学副学長就任 大学副学長の記事(PDF:
52KB)
2011年現在、東北楽天ゴールデンイーグルス シニア・アドバイザー、そして
仙台大学副学長として、「英語でスポーツを語る」をテーマに掲げ、新しい英語環境のあるスポーツ大学創りに参画。教育現場にもたつ。在仙台。