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「文武両道、日本になし」著者からのメッセージ

文武両道、日本になし

「文武両道、日本になし」

(2003年 早川書房)1,400円 Amazon

ありがたいことに、日本に住んでもう三十年以上になる。この国は清潔で秩序正しい。人々は親切で礼儀正しい。この国で、生活の大半をスポーツにたずさわって__情熱の対象を仕事にして__過ごしてこられたことを、とりわけ幸せに思っている。

しかし私は、日本のプロスポーツ選手のほとんどが、現役を終えた途端に途方に暮れるのを見てきた。確かにごく少数の大スターは、監督や解説者といった職を与えられ、いい給料をもらっている。が、普通のレギュラー選手は、そう収入の多くないコーチや、フロント職員といった仕事に就ければいい方だ、といってもよい。そして残りの大多数には、まったく何も残されない__仕事も、名誉も、未来も。彼らは日々の生活に困窮し、かつてのスポットライトは、あのへつらいはいったい何だったのだろうかと考えている。自分の知るたったひとつのこと(スポーツ)と関連した仕事に就く以外に選択肢がほとんどない理由は、たいてい彼らが充分な教育を受けていないことにある。

いまだに相撲力士の多くは中学を出てすぐに角界にはいるし、多くのプロ選手も通常、中学から先の起きている時間をほとんどそのスポーツに捧げている。戦後、日本の中学生や高校生は、受験地獄を経て本物の学生になるか、ほとんどの時間をスポーツに費やして、最悪の場合、スポーツ馬鹿になるかのどちらかを選ばなければならないようだ。世界のほかの文化では、もっとバランスがとれている。学生は本人が望めば、毎日を学業とスポーツの両方にバランスよく配分し、本格的な学生_ときには真の秀才_になると同時に、本格的なアスリートにもなれる機会を与えられる。

ほかの国では、オリンピックの金メダリストや、世界チャンピオンといった頂点の運動選手が、最高クラスの医者や、弁護士や、科学者になっている。しかし日本にはなぜか、真に最高のレベルのスカラー(秀才)アスリートがいない、文でも武でも、頂点にたつ真の文武両道アスリートである。なぜだろう?この疑問が、私にこの連載をはじめさせたきっかけである。

私の親友のゲイル・ホプキンスは、一九七五年に広島カープでプレーし、三十三本塁打、九十一打点でチームを優勝へと導いた。彼は現在シカゴで整形外科医として大成功を収めている。日本のプロ野球選手が野球以外のことをする時間を作れないというのは嘘だと彼は言う。「やる気さえあれば、ぼくみたいにいくらでも時間はあるさ。朝早く起きて、午後球場へ行くまえに勉強すればいいのだから」と。

たったひとつのことに全身全霊を打ち込む“なんとかひと筋”美徳は馬鹿げている。人には、同時に多くのことをできる計り知れない能力がある。そして子供の中には、“神は二物を与えた”といえる本物の文武両道、−スカラー(秀才)アスリート−が絶対に存在する。それは、確かに限られた人にだけ与えられる贈り物だ。しかし日本では、教育制度と人々の考え方がその芽を摘んでいる。この本が変化のきっかけになることを祈る。

そして将来の日本の子供たちが、彼らに与えられた潜在能力を最大限まで発揮できる機会を与えられることを。世界のほかの国には、私がこの本で紹介したような秀才アスリートがいくらでもいるのに、この国には彼らのレベルに到達したアスリートがいない。制度の何かが根本的にまちがっていないだろうか。

そろそろ前向きに物事を変えるときではないだろうか。あなたの子供が、真のスカラー(秀才)アスリートの予備軍の一人かもしれない。

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