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松井とバースは不当な使いを受けた(MSNジャーナル:2004年1月15日)

あのランディ・バースが今年もまた、日本の野球殿堂入りを逃した。日本歴代1位のシーズン打率を誇り、日本で3人だけの連続三冠王でもある男が。その背景には、松井秀喜がメジャーリーグの新人王を逃したときと同じ事情と、松井が経験しなかった事情が見える。

松井秀喜はあと4票、ランディ・バースはあと5票だった。
2人とも選ばれてしかるべきだった。不当な扱いを受けたのだ。不平等と愚かさが、北米にも日本にも根強く残っていることを、あらためて物語る出来事だった。

ニューヨーク・ヤンキースの1年目から異彩を放った松井秀喜は、2003年のア・リーグ最優秀新人賞(新人王)に選ばれて当然だったが、わずか4ポイント差で栄誉を逃した。選ばれたのは、カンザスシティ・ロイヤルズのアンヘル・ベロア遊撃手。全米野球記者協会による投票でベロアは88ポイント(1位票:12×5ポイント、2位票:7×3ポイント、3位票:7×1ポイント)、松井は84ポイントだった(1位票:10、2位票:9、3位票:7)。

4ポイント差は、メジャーリーグの新人王の選出が80年に現在の投票方式に変わってから24年間で、最も僅差だった。それだけ接戦になったのも無理はない。ベロアと松井の成績はかなり近かったからだ。
打率はともに.287。松井はシーズン163試合にすべて出場したが、ベロアも162試合のうち欠場はわずか4試合だった。ドミニカ出身の25歳は17本のホームランを打ち、日本生まれの29歳は16本だった。打点は、ベロアの73点に対して松井は106点とかなり差をつけたが、盗塁はベロアが21個、松井が2個と対照的。出塁率は松井の.353に対し、ベロアは.338と及ばなかった。

「投票は茶番だ」と怒ったスタインブレナー

しかし、ベロアより松井のほうが重要な「ビッグゲーム・プレーヤー」だというのが大方の意見で、実際、松井はヤンキースがプレーオフに進出した原動力の1人となり(ロイヤルズはプレーオフに進出できなかった)、さらにはワールドシリーズにまで導いた。
松井を1位〜3位のどれにも選ばなかった2人の記者も、ヤンキースの新人は素晴らしい1年を過ごしたと認めた。だが、彼ら──ワーセスター・テレグラム紙(マサチューセッツ州)のビル・バロウとミネアポリス・スター・トリビューン紙のジム・ソーハン──は、日本で10年間プレーしてきた松井にはメジャーの「新人」の資格がないと考えた。MLB機構のルールに従えば、松井は間違いなく新人と見なされるのだが。

私は、ヤンキースのオーナーのジョージ・スタインブレナーに共感できるときはめったにないが、今回は自分でも驚くほど彼と同じ意見だ。ヒデキ・バッシングについて、スタインブレナーはぞんざいな口調で切り捨てた。
「松井秀喜にとって実に不当な扱いだ。2人の記者は、自分で(新人の定義の)ルールを作った。投票は茶番だ。正式に受賞資格のある者が露骨に無視されたんだ」

2年連続で次点の無念

これとほとんど同じ言葉が、阪神タイガースの元スラッガー、ランディ・バースを野球殿堂入りに選ばなかった、日本のスポーツ記者にも当てはまる。
1月9日に2004年の殿堂入りが発表され、競技者表彰(現役引退から規定年数以内の選手・監督・コーチ)に選ばれたのは、仰木彬ただ1人だった。現役時代の仰木は打てない内野手で、通算打率.229、70本塁打は取るに足らない数字だ。しかし、監督としては近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブで計3回のリーグ優勝を果たし、96年にはイチローを擁するブルーウェーブを日本一に導いた。

殿堂入りは取材経験15年以上の記者の投票で選ばれ、今年は285人のうち230人が仰木を選んだ。投票する記者は殿堂入りにふさわしいと思う5人の名前を連記し、各人に1票ずつが入る。当選には有効票数の75%以上(275票のうち207票以上)が必要で、仰木は230票、次点だったバースは202票。わずか5票、足りなかった。
仰木さんには申し訳ないが、あなたはたまたま優秀な選手たちがいたチームを率いて優勝したけれど、マスコミでも有名な夜遊びのせいか、球場に来ても足元がおぼつかなかった。あなたはもちろん素晴らしい人だし、決して悪く言うつもりはないが、バースを抑えて選ばれるほどではない。それはまぎれもない事実だ。

連続三冠王はバース、王、落合だけ

バースは日本で6年(1983〜88年)しかプレーしていないという指摘も多く、それはたしかに事実だ。しかし、阪神球団がバースの現役生活に早すぎるピリオドを打ったという事実も、忘れてはならない。
1988年にバースが、息子ザカリーが命にかかわる脳腫瘍を患っているのを理由にアメリカへ帰国したとき、球団は対応を誤ったのだ。バースは、ザカリーが手術を終えて危機を脱したら日本に戻りたいと思っていたし、彼は引き続きユニフォームを着ることを許されるべきだったのに。

バースに関する数字をいくつか考えれば、日本の野球殿堂に選ばれなかった理由を、いったいどこまで正当化できるだろうか。
1986年には打率.389をマークし、これは今なお、日本のプロ野球で歴代1位のシーズン打率だ。通算打率は.337で、85年(打率.350、54本塁打、134打点)と86年(打率.389、47本塁打、109打点)は2年連続で三冠王に輝いた。ほかに連続三冠王の栄誉を手にしたのは、王貞治(1973、74年)と落合博満(1985、86年)だけだ。

そして、阪神ファンが何よりも忘れられないのは、85年に阪神が球団史上唯一の日本一を達成したとき、バースはチームのMVP、リーグMVP、さらには日本シリーズMVPにも選ばれたことだ。
彼は正真正銘の男だったし、これからもずっとそうであり、そして野球殿堂にふさわしい男なのだ。

通算打率歴代1位でも野球殿堂に入れない

悲しいのは、松井が昨年、アメリカで経験したのと同じように、先日の殿堂入りの投票で5人の日本人記者が、誰の名前も記載しなかったことだ。つまりその時点で、バースは当選に必要だった残り5票を失っていたことになる。
オクラホマ州ロートンの自宅にいるバースにこの話をすると、彼はあまりうれしそうではなかった。
「5人の記者が誰にも投票しなかったことは残念だ。彼らに与えられた名誉と特権なのに。どんな状況でも投票したほうがいいし、それが彼らの義務じゃないかな」

競技者表彰の資格(引退から5年以上15年以内)がある最後の年に、これほどの僅差で落選した感想を聞くと、バースは、そんなにがっかりしていないと言った。でも、口調はそうは言っていなかった。
「去年はわずか10票差で落選したと聞いていたから、今年は選ばれるかもしれないという期待みたいなものはあった。まあ、いいさ。いつか選出委員が(特別表彰で)選んでくれるかもしれない。そうなれば、とてもありがたいね。あと、レオン・リーも忘れないでほしい。彼の通算打率(.320:1977〜87年、ロッテ・オリオンズ)は日本球界の歴代1位なんだから、選ばれてもおかしくないと思うよ」

松井が2003年の新人王を逃した理由は、人種差別ではないと断言できる。何しろ、ベロアはラテン系の選手だ。
松井の場合、日本で10年も活躍したことが問題となった。新人の定義を無視して松井を3位にさえ選ばなかった2人の記者も、高いレベルでのプロ経験が長すぎると考えた。
だが、バースとリーはどうだろう。なぜ2人はこれほど長いあいだ、殿堂入りを果たせないのか。その理由が人種差別ではないと、言い切れるだろうか。もし違うというなら、2人が選ばれない理由はいったい何だろう。

(翻訳:矢羽野薫、MSNジャーナル編集部)

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