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日本のスポーツ放送に、プロフェッショナリズムはあるか(体育科教育:2003年1月)

日本のほとんどのテレビスポーツ番組を見るたびに私は日本には真のスポーツ文化がないと確信せざるを得ません。もし、日本にスポーツ文化があるならば、人々はあのような低俗なスポーツ番組に絶えられないはずです。

昨年、私は幸運なことにアメリカから、特別なテレビ番組のビデオを何本も手に入れ、それらを何度も繰り返し見ました。なぜ繰り返しみ見たかというと、それは、スポーツの魅力を伝えている上に、アメリカの大衆に向けて、スポーツがどのように提供されているかが伝わってきたからです。その番組は、ABC放送の大賞受賞番組「Wide World of Sports」という、40周年記念特別番組でした。そして、この番組の多くのシーンでは、真のスポーツ文化とそうではないものの大きな違いを指摘したものがたくさんありました。

この番組のオープニングに登場するのは、80歳になるジム・マッケイという総合司会者です。彼は、1961年4月29日、白黒番組を担当した最初のアナウンサーで、彼がその最初の番組を担当した39歳のとき、アメリカの放送界には、「壊れていないのならば、手を出すな」 という古い格言が生きていました。

アメリカのスポーツ界では、「ただ単に雰囲気を求めて、花形キャスターを代えてはいけない」といわれます。そして、そのことばを具現化するかのように、ジム・マッケイは、41年間も活躍し、今やアメリカのテレビキャスターとしては最も優れた一人となっています。

彼は、ジャーナリストとしてのトレーニングを受けるためにジャーナリズムを専攻し、50年近くをテレビキャスターとしてほとんど自分で原稿を書いてきました(悲しいかな、日本のほとんどの大学にはそのようなジャーナリズム専攻課程はありません)。彼は、スポーツ記事の執筆やテレビキャスターとして卓越していたこと、さらに、12回にわたるオリンピックのテレビキャスターとしての仕事が評価されて、13回もエミー賞を受賞しました。国際オリンピック委員会は、1998年、彼に最も高い賞である「オリンピック勲章」を与え栄誉を称えました。

マッケイを見れば、本当のキャスターがもっているものを日本のキャスターにはないことに気づくでしょう。彼は、ジャーナリストとしてきちんとトレーニングを受けているだけでなく、自分自身で原稿を書くほか、他の人のためにもよい原稿を書いています。彼は、優秀なアナウンサーであるために、これまで一度も降番を要求されたことがありません。そして花形キャスタ−にふさわしい報酬を得ています。彼は、テレビキャスターから得られる莫大な収入で、メジャーリーグの野球チーム、ボルチモア・オリオールズの共同オーナーの一人となっています。

マッケイと日本のほとんどのアナウンサーとを比較すると、日本には比較のできるアナウンサーはいません。日本の多くのアナウンサーは、大学にジャーナリズムの専攻学科がないためジャーナリストとしてのトレーニングを受けていません。そして、彼らは、アナウンサーというよりも、ただ単に、各テレビ局の雇われ人に過ぎません。彼らは、“局アナ”と呼ばれて、若い時期から(スポーツ番組だけでなく)、朝から晩までこき使われるほか、リストに載っている他のアナウンサーよりも多くの賃金が支払われるわけでもなく、45歳から50歳でアナウンサーを退いてデスクワークとなり、ほとんどは55歳か60歳で退職します。

日本のテレビ局は、花形アナウンサーを養成しようとはせず、もし、花形アナウンサーがいたとしても、それ相応の賃金を払おうともしません。マッケイのような花形アナウンサーには、年間100万ドル(約1億3000万円)が支給されており、これは、アナウンサーは選手と同じくらい重要な存在であることを表わしています。

このようなことは、多分、日本では決して起きませんし、これからも決して起こらないでしょう。

“女子アナ”って?  私が日本でいらいらすることのもう一つは、日本のテレビ、特にスポーツ番組で、いわゆる“女子アナ”と呼ばれるアナウンサーの使い方です。彼女たちは、頭脳よりも、いかに可愛いか、最悪の場合、いかに大きい胸を持っているかで選ばれているようにしばしば見受けられます。

さらに、彼女たちがスポーツキャスターとして期待される平均年数は、長くても2年程度です。彼女たちは、一般にはジャーナリストとして選ばれているのでもなく、特別な知識を持っていることやスポーツにおける背景知識があることなどで選ばれているわけではりません。これは使い古されたジョークですが(しかし、真実とはかけ離れていませんが)、「女子アナたちの唯一の仕事は、とてもリッチな旦那さんを探すこと(玉の輿に乗ること)です」

先にご紹介した「Wide World of Sports」という、40周年記念番組の登場する女性たちと比べてみてください。そこには、若いからとか、美人だからとか、胸が大きいからとか、何も考えていないからとかいう理由で選ばれている女性アナウンサーはただ一人もいません。彼女たちはすべて自分の専門の分野を持ち、通常はスポーツの専門性を発揮することができ、スポーツの素晴らしさを表現でき、何年間にもわたってそのスポーツで卓越していたことを証明してきた元トップ競技選手であることが理由で選ばれています。

私にとって最も印象的だったのは、1970年代の最も優れた女性ゴルファーであったジュディ・ランキンです。彼女は、1984年以来、18年間にわたってABC放送のゴルフコメンテイターを務めています。

タイガー・ウッズについては、彼女が描写する、次のようなコメントを聞いて、私は、彼女よりももっとうまく描写できる人は、彼女をおいていないと確信しています。

「“タイガーには不可能ということはない” タイガーに関しては、不可能としか思えないようなショット、つまり、他の誰もがチャレンジしようとは思わないようなショットを見ることができる。タイガーはしばしばできなどころか、やり遂げてしまう」

フィギュアスケートでは、ABC放送は、1981年から21年間、専門のコメンテーターとして、1968年フランス・グルノーブル大会の金メダリストで、今は孫のいるペギー・フレミングを使っています。その彼女は、放送の卓越性が評価されて2回のエミー賞を獲得しています。 1964年、東京オリンピックの水泳で2つの金メダルを獲得したドナ・デ・ヴァロナは、その年にAPとUPIによって、世界最優秀女性選手に選ばれました。ヴァロナは、アメリカ・オリンピック委員会とIOCの理事の一人になるべく活動をつづけ、彼女は1965年にABC放送初の常勤女性スポーツキャスターに選ばれました。そして、37年間もキャスターとして仕事をつづけています。

競馬界において、ABC放送を長い年月にわたってリードしているキャスターのチャールズ・キャンティは、他の同僚が若さや大きな胸を理由に選ばれていないのと同様に見えます。彼女は、優れた洞察力を的確に表現することができます。これは、一言でいえば、第一級の“プロフェッナル”だということです。

このABC放送の「Wide World of Sports」を見て気づくことのもう一つは、多くの外国人記者がよくやりたがることですが、アメリカの巨大なナショナリズムに非難をしていることです。

政治家や経済界のリーダー、エンターテナー、競技選手に限らず、全ての国民は、自国のことに関心が高まる傾向があります。キャスターがオリンピックや世界選手権大会で、いかに競技結果が悪くても自国の競技者に焦点をあてることは少しは理解できます。アメリカもこのことに関しては、しばしば罪悪感を覚えています。

しかし、「Wide World of Sports」 では、アメリカ人の大衆の家庭に、現実の世界を再現するという意味では、特別の信頼を得なければならないと考えています。

1961年5月20日、「Wide World of Sports」 の二番目の放送は、ロンドンからのFAカップサッカー決勝戦でした。そして7月22日、「Wide World of Sports」は、モスクワから米ソ対抗陸上競技大会を放送しました。その大会では、走り高跳びで、2m24(7フィート4&1/4インチ)の世界新記録を樹立したヴァレリー・ブルメル選手をアメリカの視聴者に紹介しました。その翌年、番組が始まって2年しか経っていないのに、「Wide World of Sports」は、アメリカの冷戦の敵国であるブルメル選手を、2つの世界新記録を樹立した理由で、その年の優秀選手に選びました。そして彼を、特別賞を授与するためにニューヨークに招待しました。

ロサンゼルスで若い時期を過ごした私は、「Wide World of Sports」のおかげで、世界の偉大な競技者について学んだことを覚えています。世界で最も強い男は、ソ連の重量挙げ選手・ヴァスリー・アレーエフ(彼は80回の世界新記録を樹立)でした。スコットランドのジャッキー・スチュアートは、大胆かつ魅力的なレース・ドライバーでした。また、体操競技のオルガ・コレブト(ソ連)、ナディア・コマネチ(ルーマニア)は、たくさんのアメリカ人の心を掴みました。彼女たちは鉄のカーテンの国からの選手でしたが、そんなことは問題ではありませんでした。

私は残念なことに、日本のスポーツ放送はほとんど失敗に終っていると言わざるを得ないと思います。なぜ、スポーツ番組に「爆笑問題」や「トンネルズ」、「ウッチャン・ナンチャン」のようなコメディアンや、さらにひどいことには織田裕二のような俳優まで、また、モーニング娘のように才能がなく、何も考えないような小娘を番組に登場することを、日本人の多くは許すのでしょうか。ほとんどのスポーツイベントに、なぜ、毎年変わるような意味のないテーマソングやスローガン、特別なロゴを使うのでしょうか。

日本のキャスターは、放送には、プロフェッショナリズムが必要なことをいつ理解するのでしょうか。プロフェッショナリズムは、専門のトレーニングや何年間もの経験とがあって初めて向上するものです。そして、よいキャスターは、花形にふさわしく処遇され、それにふさわしい報酬が支払われるべきです。年齢に関係なく、星が輝く間中はキャスターとしての仕事をつづけさせるべきです。さらに、ナショナリズムはできるだけ楽屋裏に押しやるべきです。

ある意味で、日本には真のスポーツ文化がないことは驚くことではありません。それは、ひどい訓練を受けたアマチュアレベルの、しょっちゅう交代させられてしまうキャスターが、スポーツとバライエティ番組をごちゃ混ぜにした番組を提供して、視聴者をだましているからです。また視聴者は、そのような軽蔑に値するような番組が押し付けられても異を唱えないからです。

とは言ったものの、報道する者も視聴者も、こういう私の考えに理解を示さないことでしょう。さらに悪いことに、私がこんなことを言っても誰も気にしないかもしれません。

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