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ベッカムが征服していない最後のマーケット(MSNジャーナル:2003年8月8日)

日本をはじめアジアで絶大な人気を誇るデービッド・ベッカムも、アメリカでは街を自由に散歩できるかもしれない。サッカー界がどうしても切り崩せない最後のマーケットでベッカム夫妻は成功できるだろうか。

アメリカ人の大多数は、まだサッカーを愛しているとはいかないが、愛は少しずつ育まれている。子供のサッカー人口はかつてないほど多く、900万人を超えたとも言われ、その数は着実に増えている。それでも、サッカーは大人の鑑賞に耐える壮大なスポーツというより、子供が楽しむスポーツにすぎないと思われている。

6月に当時はマンチェスター・ユナイテッドのスターだったデービッド・ベッカムが、元スパイス・ガールズのポッシュことビクトリア夫人とともにアメリカを訪れた。ニューヨーク・ポスト紙は夫婦の「セルフプロモーション・ツアー」と呼び、トム・サイクス記者の反応は冷めていた。サイクスに言わせれば、ビクトリアの歌は「何とか聞ける程度」。デービッドは、アメリカでは「もっぱら少女がやる」スポーツのスターだという。

USAトゥデー紙は、「アメリカでだけは、デービッドとビクトリア・ベッカムは通りを歩いていても、気づかれないだろう」と書いた。

もちろん、東京や北京やバンコクで、ベッカムがボディーガードや熱狂的なファンの大群を引き連れずに表を歩けるなど、想像もできない。しかしアメリカでは、ベッカムに憧れるサッカー少女を描いた映画(本人も少しだけ出演)を公開するとき、配給会社は『ベッカムに恋して(Bend It Like Beckham)』というタイトルの変更を真剣に検討した。これでは何の映画かわかってもらえないだろうと、心配したのだ。

ウイメンズ・ウェア・デイリー誌のエンターテインメント部門の編集者マール・ギンスバーグは言う。「デービッドとビクトリアは、信じられないほどかっこいい最新の注目カップル。アメリカ人はちょうど、ベン(・アフレック)とジェニファー(・ロペス)に飽きていたし。でも、私たちはサッカーは見ない。そこが問題だ」

イングランドで最も憎まれた男

とはいえ、アメリカの有力なスポーツ・メディアの一部は、世界のベッカム狂想曲をもっとよく理解して、それをアメリカ人に説明しようと試みている。そのひとつとして、著名なスポーツ・ジャーナリストのフランク・デフォードはベッカムにインタビューで鋭く切り込み、その模様は1週間前にHBOテレビの「リアル・スポーツ」で放映された。

デフォードはコーナーの冒頭で、デービッド・ベッカムと南アフリカの著名な指導者ネルソン・マンデラの対面を報じたイギリスの新聞を紹介。これがいちばんわかりやすいベッカム像かもしれないと語った。その新聞は次のように伝えている。

「片や同世代のイコン(偶像)にして、世界中で多くの人々に崇拝され、かつては絶望のどん底にあった母国に希望をもたらした男。片やネルソン・マンデラだ」

しかし、そのベッカムがかつてはイングランドで最も憎まれた男であり、命の危険を感じるほど脅迫された時期もあると、日本の(サッカーファンではない)ベッカムファンはどれだけ知っているだろうか。

サッカー少年の夢が悪夢に変わった一瞬

デフォードは、「神童」ベッカムはわずか16歳でマンチェスター・ユナイテッドと契約し、98年のワールドカップにイングランド代表の若手として出場を果たしたと説明。ロンドンの労働者階級が住む地区で生まれ育った貧しい少年にとって、まさに夢が実現したのだ。しかし、夢は一瞬で悪夢に変わった。

イングランドとアルゼンチンの試合中に、ベッカムは相手の故意のファウルが流されたと思い、その選手を蹴った。だが、ベッカムの軽いキックだけが審判の目に留まり、いきなりレッドカードで退場。イングランドは試合に負け、英ミラー紙は「10人の勇ましい猛者と1人の愚かな少年」と非難した。

デフォードは、「ベッカムが築いてきたすべてがなくなった」と言い、「周囲の怒りが親しみに変わるまで、どのくらい時間がかかったか?」と聞いた。

「3年か4年はかかっただろう」と、ベッカムは答えた。

だが「謙虚なベッカム」は、逃げも隠れもせず、よその国でプレーしようともしなかった。彼はイングランドにとどまり、それまで以上に努力して、ユナイテッド・マンチェスターの主力選手に成長したのだ。最後にはキャプテンとなり、本人も「それが僕にとってターニングポイントになった」と語っている。

すべては妻ビクトリアが計算した演出

ただし、彼を単なる国内のスターから、おそらく世界でかつてないほど有名なアスリートの1人にしたのは、ピッチでの実力だけではない。ベッカムがどのようにして現在のアイドルの地位にのぼりつめたのかと聞かれれば、その答えは妻ビクトリアにほかならない。

デフォードは『ベッカム神話』の著者エリス・カシュモアにもインタビューし、カシュモアは、ベッカマニアはすべてポッシュの演出だと言い切った。

「ポッシュ・スパイスと出会ったとき、彼は野心あふれるフットボーラーだった。将来有望な選手だったけれど、まだスターではなかった。一方、彼女のほうは世界的に名の知れた『Aクラス』のセレブリティだった」

「ポッシュは一大計画を実行に移した。私を有名にしたセレブ製造メカニズムを、アスリートの夫にも当てはめて成功させてみせる、というわけだ」

ポッシュは夫に最先端のファッションをさせ、髪型をひんぱんに変えて、あらゆる「イベントに」夫婦で出席した。彼女は夫のイメージを、計算づくで作りあげたのだ。

ゲイにも黒人にも愛されるアスリート

デフォードはベッカムに聞いた。「アスリートのイメージと言えば、少なくともアメリカでは大酒のみで女たらしですが、あなたはそんなイメージとはかけはなれている」

「うん。僕は家族を大切にしている。妻を愛し、子供たちを愛している。たぶん、だからヨーロッパや日本でこんなに人気があるんだろう。それを素直に表現する男性は、ほとんどいないからね」

ベッカムは自分の幅広い人気について、さらに続けた。「僕はゲイの雑誌の表紙を飾っても、別に気にしない」

デフォード:「あなたはゲイの男性にとても人気がありますね」

ベッカム:「ああ、すごくね」

デフォード:「それに白人男性としては、黒人にも人気がある?」

ベッカム:「うん、そうだね」

デフォード:「ファッションも好き?」

ベッカム:「うん」

デフォード:「あなたはユダヤ人のクォーターだと聞いていますが」

ベッカム:「そうです」

デフォード:「あなたの人気の裾野はとても広い」

ベッカム:「そうだね。たぶんそれが、人気とかにもつながっているんだろう」

ゲイにも黒人にも愛されるアスリート

ベッカムが決して世界一のプレーヤーでないことは、専門家の大半が認めるところだ。ピープル紙のシニア・スポーツ・コラムニストのポール・マッカーティは言う。

「ベッカムはマンチェスター・ユナイテッドのなかでさえ、最高の選手ではない。とても優れたフットボーラーではあるが、実際は、ピッチでの実力よりセレブとしての名声のほうが上回っている」

マッカーティはさらに、ベッカムとポッシュにとって、アメリカという世界最大のスポーツ市場を征服することは重要な目標だと指摘する。

「レアル・マドリードで彼が選んだ背番号は──23──マイケル・ジョーダンだ。アメリカ市場を見据えていることは、疑いの余地もない」

ベッカム本人も、デフォードのインタービューの終わりにこう語っている。

「アメリカのどこが好きかと、よく聞かれる。僕はいつも、アメリカの人はスポーツにすごく熱狂的だと答えるんだ。アメリカ中の人に顔と名前を覚えてもらえれば、僕も光栄だ」

デフォードは最後に、アメリカで本物のセレブリティになることは、ベッカムにとって「パズルの最後のピース」になると締めくくった。

「サッカー界にとっても、実に大きな意味がある。これまで誰もアメリカでは通用しなかった。ペレも来たが、やがて去り、足跡を残すことはできなかった。ワールドカップも来たが、結末は同じだった。つまり、もしベッカムがサッカーをアメリカで成功させ、彼自身も成功したら、とてつもない価値がある。だからこそ背番号が23なのだ。レアル・マドリードが彼から一滴残らず絞りとった後か、4年契約が終わったら、もしかするとアメリカに来てプレーするかもしれない。アメリカのサッカー界はきっと、軍資金をかき集めてベッカムを呼ぼうとするだろう」

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