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日本人は野茂をもっともっと称えよう(MSNジャーナル:2003年5月1日)

メジャーリーグの世界では、残念ながら野茂英雄や松井秀喜はまだ「地元の」スターでしかない。広大なアメリカ大陸で全国区のスターになれるのは、本当に限られた超エリート選手だけなのだ。それでも日本人にとって、野茂は正真正銘の誇りである。

先週、NHKから「What's on/Japan」というテレビ番組に出演してほしいと連絡が来た。テーマは、「野茂のメジャーリーグ通算100勝を、アメリカの野球ファンはどう思っているか」。

打ち合わせの席で、ディレクターとインタビュアーは私の話に驚きを隠せなかった。「アメリカのファンの大半は、野茂の100勝について特別な思いはない。それほど話題にもならない」。これはNHKのスタッフが期待していた答えではなく、彼らがちょっぴり失望したのは間違いない。

もう少し説明が必要だった。私は、野茂がアメリカで反感を買っているのではないと言った。そうではなく、アメリカの市場は日本とはかなり違うことを、日本人はもっと理解しなければならないのだ。

何よりもまず、アメリカはとても広い国で、面積は日本の23倍以上におよぶ。東海岸と西海岸では、国内にもかかわらず3時間の時差がある。ニューヨークからロサンゼルスへ行くには、5時間近く飛行機に乗らなければならない。時間がたっぷりあって、車でアメリカ大陸を体験したければ、ノンストップで走りつづけて丸3日。夜は車を停めて寝るとしたら、1週間近くかかる。

日本にくらべて、アメリカはこれほど大きいのだ。だから高校のスポーツでも、主要な全国大会はない。「甲子園」はありえないのだ。国が広すぎるため、ほとんどの大会は州内に限られ、州の半分だけの場合もある。たとえば、私の高校はロサンゼルスでもとくにスポーツが盛んで、私は南カリフォルニア大会で優勝したいくつかのチームでプレーした(つまり、いくつかのスポーツを経験したということだ)。だが、そこまでだった。北カリフォルニアの高校と対戦する時間も予算もなく、州外の高校は言うまでもなかった。

全米で1000以上のプロチーム

このようにアメリカ人は地域社会に密着して育つから、熱心に応援するのは、たいてい自分が住んでいる地域のチームだけになる。

また、チームの数も日本にくらべてかなり多い。プロ野球ではトップレベルだけでも、日本の12球団に対して30球団。マイナーリーグともなれば、日本は12球団しかないが、アメリカは250以上ある。これに野球以外のプロチームを加えると、(メジャーとマイナーレベルを合わせて)1000以上のチームがファンの関心を奪い合うのだ。地元の応援にかたよるのも納得できる。

2000年の秋、ニューヨークの野球ファンは、ニューヨーク・メッツとヤンキースが対戦する「サブウェイ」ワールドシリーズに沸いた。しかし、確かに東海岸の住人たちは夢中だったが、アメリカのほかの地域では記録的な人数がテレビのチャンネルを変えた。視聴率はワールドシリーズ史上、最低レベルだった。

2年前に新庄剛志がメッツに入団したときも、私は日本のマスコミから、今回の野茂の件と似たような質問を受けた。「アメリカの野球ファンは新庄のことをどう思っているか?」私は同じように答えるしかなかった。新庄に熱い視線を注ぐのは、メッツファンだけだ。新庄に熱い視線を注ぐマスコミも、ニューヨークのマスコミだけだ。

全国区のスターは超エリート軍団

北米で全国区のファンを集めようと思ったら、アスリートは何かずば抜けたことをしなければならない。マーク・マグワイアやサミー・ソーサ、バリー・ボンズは、記録的な本数の超特大ホームランを場外に飛ばしている。ランディ・ジョンソン(39)は160キロのファストボールで打者をなぎ倒し、まだまだサイ・ヤング賞を獲りつづけそうな勢いだ。40歳のロジャー・クレメンスは現在297勝で、300勝の金字塔にあと3つと迫っている。

ファンはみな、特別なものを見たくて仕方がないのだ。そのときは、「自分たちの」チームの選手でなくても構わない。

イチローはすぐに、全国区のスターというごく限られたエリート軍団に加わった。それができたのは、メジャーの長い歴史のなかで、イチローがどんなルーキーもかなわない最高のスタートを切ったからだ。彼は次々に記録をぬりかえ、魔法のバットと目もくらむスピードと華麗な外野の守備で、全米のファンをとりこにした。

佐々木主浩や長谷川滋利もシアトルで活躍し、地元の人気者になったが、彼らを応援するファンの大半は州内に限られる。モントリオール・エクスポズの大家友和も、ロサンゼルス・ドジャースの野茂英雄と石井一久もそうだ。

西海岸のテレビに松井は登場せず

松井秀喜が4月8日(日本時間9日)にヤンキースタジアムのデビュー戦でグランドスラムを打った場面は、すべての日本人が何度も見て、何度も聞いた。ニューヨークでもビッグニュースとして話題を集め、ヤンキースの熱心なファンの大半が住む東海岸は、大いに沸いた。しかし、アメリカ大陸を西へ向かうにつれて、松井のバットの快音はしだいに小さくなった。

ちょうどそのころ、友人のデーブ・スペクターがロサンゼルスにいた。彼から次のような電子メールが届いた。

「面白いね、アメリカにはいろいろなタイプの忠誠心があるんだ。ニューヨークにいる友人たちからは、松井がグランドスラムを打った直後に電話がかかってきた。でも、ここロサンゼルスでは、僕がテレビで見たスポーツ番組はどれも、松井の名前さえ出なかった。次の日まで待って、やっと(全国紙の)USAトゥデイで記事を読むことができた」

4月20日に野茂がメジャー100勝を達成したときも、アメリカではあまり騒がれなかった──残念ながら、私はNHKのスタッフにそう言うしかなかった。

その試合を伝えたAP通信の記事の見出しは、「Dodgers Really Take Offense(ドジャース、ついに火を噴く)」。このところ音沙汰なしだったドジャース打線がようやく目を覚まし、16−4でサンフランシスコ・ジャイアンツに勝ったことを指すものだ。同じようにロサンゼルス・タイムズも、見出しは「Dodgers finally score runs(ドジャースがようやく得点)」。オレンジ・カウンティ・レジスターは「Dodgers take one giant step forward(ドジャース、大きな1歩)」だった。

試合後のインタビューで、野茂はあいかわらず口数が少なかった。日本の取材陣はメジャー100勝を何とか盛り上げようとしていたが、野茂はいつものように無表情で答えた。

「今日の勝利はうれしいけど、単なる通過点ですから。まだこれで終わりじゃない」

野茂は自分の100勝をあまり強調せず、アメリカのマスコミも大半は、ほとんど触れなかった。結局、大喜びしているのはドジャースのファンだけだ。130年以上に及ぶメジャーの歴史のなかで、200勝以上をあげた投手は99人いる。そのうち18人は300勝以上で、ウォルター・ジョンソンは417勝、サイ・ヤングは511勝を誇る。

「日本人初」の称号

ただし、誤解してはいけない。私はここであらためて、野茂はメジャーで文句なしの偉業を成し遂げたのだと、はっきり断言しておきたい。

野茂は自分の道を貫いてきた。選手にとって不公平だと思った日本のシステムから飛び出した彼に、日本の野球関係者の多くや「従順な」マスコミは、裏切り者のレッテルを貼った。1995年に彼が成田から飛び立つとき、見送ったのはほんの一握りの記者だけだった。そして凱旋帰国の日には、500人以上のミーハー記者が迎えた。

野茂は自分の力でメジャーを制し、多くの「日本人初」の称号を得た。日本人初のルーキー・オブ・ザ・イヤー、開幕投手、オールスターゲームの先発投手、リーグ奪三振王、ノーヒットノーラン試合、両リーグでノーヒットノーラン試合。打者としても日本人初のホームランを打った。そして今、日本人として初めて、メジャー通算100勝をあげた。

日本人初のメジャーリーガーは1964〜65年にプレーした村上雅則だが、マッシーの場合は計画的に準備したわけではない。彼は、まずマイナーリーグに一時留学した。しかし野茂は、最初からメジャーで実績を築こうと決意してアメリカに渡った。なんと素晴らしい実績を築いたことか!

メジャーに1年間いて1勝もあげられなかった小宮山悟や野村貴仁に、メジャー100勝の重みを聞いてみるといい。7年間で39勝の長谷川滋利や6年間で34勝の伊良部秀輝、5年間で32勝の吉井理人も、100勝の偉大さを知っているだろう。

すべての日本人メジャーリーガーの先駆者として

野茂は、ほかの日本人の先発投手がメジャーでできなかった夢を実現させた。勝利を重ねるだけでなく、注目すべき記録もある。1996年4月13日には1試合17奪三振を達成し、三振のアーティストとして認められた。通算投球イニング数(1604)より奪った三振の数(1654)のほうが多く、本当に特別な選手の仲間入りをした。

野茂の見事な偉業は、広大なアメリカ全土となると、ふさわしい評価をされないかもしれない。アメリカにはメジャーの長い歴史があり、球団数も多く、ファンが地域に密着している。しかし、日本人のなかでは間違いなくナンバーワンで、これまで以上にあらゆる賛辞を受けて当然なのだ。

野茂が道を切りひらき、ほかの選手があとに続いた。野茂は日本でも、今以上に評価され、注目されてもおかしくないはずだ。彼に続いた選手たちはみな、開拓者である野茂にはどれだけ感謝しても足りない。代理人に払うように、年俸の数パーセントを野茂に払ってもいいくらいだ。つまるところ、彼ら日本人メジャーリーガーにとって、どんな代理人にもできないことを野茂がしてくれたのだ。

そして野茂は、日本のすべての野球ファンに、かけがえのない誇りを与えてくれた。

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