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目標をもって「がむしゃら」に行こう(MSNジャーナル:2003年3月20日)

大学の社会人入試に合格した日本人メジャーリーガーを、野球界の大御所はまるで理解できないという。二足のわらじなど言語道断、ひたすら野球だけをすればいい──それでこそプロだという大きな誤解が、日本では根強い。目標をめざして全力投球することと、理性のない「がむしゃら」は違う。

自己紹介などで趣味をあげるとき、私はたいてい「スポーツと音楽」と書く。どちらも最高のときは心と体を高め、たまっていたフラストレーションのはけ口になってくれる。だが最悪のときは、どちらも欲求不満を倍増させて、いいことより悪いことのほうが多い。

日本のテレビをつけて、若い歌手やグループが登場すると、たいてい歌の下手さにうんざりさせられる。正直なところ、とても「歌っている」とは言えない。実際は、口を開けて耳障りな音を出しているだけだ。

私は次のような実験をしたことがある(あなたも試してみては?)。ある週の日本のヒットチャート上位10曲を聴いて、どのくらいしっかり歌えているか、実力を客観的に評価するのだ。見識ある音楽評論家たちの前でステージに立ち、アカペラで歌えるだろうか。大半の人はよその国で観客の前に出て歌ったら、笑われて退場するしかなさそうだ。

というわけで、数週間前に本物のタレント(才能)を持つ日本人エンターテナーを見つけたときに私がどんなにうれしかったか、想像してほしい。「ジャズボーカリストでフリューゲルホーン奏者」と聞いてピンと来る人もいるかもしれないが、私はNHKホールのコンサートに行くまで、かろうじて名前を知っている程度だった。

彼の名前は、TOKU。日本のヒットチャート上位10組を数週間分合わせても、彼にかなう音楽的才能の持ち主はいない。TOKUのおかげで、私の悩みも世界の憂鬱なムードも、すっかり軽くなった。

「160キロ投手養成」の愚かすぎるテレビ番組

スポーツも、欲求不満を解消する気分転換になるはずだ。最高のスポーツは私たちを奮いたたせ、わくわくさせてくれる。だが、先の週末に偶然テレビで見たスポーツ番組は、そうではなかった。私はまたしてもうんざりさせられ、この国のスポーツはモーニング娘。と変わらないときもあるのだと思い知らされた。

3月15日(土曜日)の朝、テレビを見ていると10時30分からNTVで「ジュブナイル」という番組をやっていた。話の続きを読む前に、辞書で「juvenile」の意味を確かめてほしい。おそらくディレクターやプロデューサーは、これ以上にぴったりの名前はないことさえ、気づいてはいない。何しろ「juvenile」とは、「生理的・心理的に未熟な、未発達の、知的に成長していない、幼稚な」という意味なのだから。

番組は、野球経験がまったくないか、ほとんどない若い男性を集め、3カ月間猛練習をさせて160キロ投手を養成する(少なくとも3カ月でどれだけ投球のスピードが速くなるか)という企画だった。

別にいいじゃないか? そう思うのは、教養のない人だ。歌を歌えない少女たちがステージの上で走りまわるのを見てもおかしいと感じない人や、それを平気で見ている人も、そう思うだろう。

そもそも160キロの球を投げるという偉業は、これまで日本人のプロ選手で誰ひとり達成したことがない。少年や若い青年は自分の最高速度で投げようとするだけでも、実際にはもっと遅いスピードしか出なくても、たった1回の無理な投球で肘を一生ダメにすることさえある。

NTVは本当に野球を知っているのか

若者にこの手の挑戦を許すことは、実際にやらせたということは、高校生を1列に並ばせてウイスキーのびんを1本ずつ渡し、「どれだけ速く飲めるか」と競わせるようなものだ。数秒で飲み干す学生もいるかもしれないが、飲み終わるか終わらないかのうちに死ぬだろう。それに値する行為なのか? 命を失っても……腕を失っても?

NTVの番組を企画した人たちは、頭の中を調べてもらったほうがいい。番組を見て面白いと思った人たちも同類だ。

多くの参加者は、今までこんなに力を入れたことがないくらい一生懸命に腕を振り、きき腕をいためた。一生、後遺症に苦しむ人もいるかもしれない。

NTVは読売ジャイアンツのいわば「専属」ネットワーク局だから、野球について基本的な知識があるはずで、いいことと悪いこと、理性のあることと愚かなことを区別できるはずだと思うかもしれない。しかし言うまでもないが、この番組を企画して、制作して、放送したということは、野球の複雑さと危険性について何も知らないということだ。

しかも、番組は劇的な演出をねらっていた。投球のスピードが十分に伸びなければ次のステップに進めず、全力を出しきっても脱落させられるのだ。喜んで叫ぶか、失敗して涙を流すか、あるいは肩があまりに痛くて泣き叫ぶか。

このような「がむしゃら」は、日本では許されるどころか、強要されるときさえある。それを見るたびに、私は開いた口がふさがらない。目標があるなら、全力でがむしゃらになるのは少しも悪いことではない。ただし、体を壊さなければ。

ところがNTVの憐れむべき番組ときたら、若者たちに頭ではなく心で投げろと、実に愚かな励ましをしていた。

「オフに勉強する暇があったら」

とにかく全力を出しきればいい、後のことは考えるな──。そう言わんばかりの演出に、私は1週間前の3月9日に見たTBSの「サンデーモーニング」を思い出した。モントリオール・エクスポズの大家友和が立命館大学を受験して合格したことを、張本勲がまったく相手にしなかった場面だ。

野球界の「恐竜」は次のように言った。

「二足のわらじなんて……野球なら、野球一本でいけばいいんだよ……13勝したでしょう。何で15勝、18勝をねらってね……野球だけ……オフに勉強する暇があったら、もっと相手のバッターの研究とか、ランニングとか、やることはいくらでもありますよ。プロなら、プロです。一本でいかなきゃ」

私は個人的に、大家の今回の決断を祝福したい。私のなかで彼の株はぐんと上がった。2、3年前にNBAの億万長者スター、シャキール・オニールも、オフシーズンに大学へ戻って学位を取得した。それと似ているとも言える。もちろん、オニールは本人にその気がなければ、引退後も働いて金を稼ぐ必要などない。でも、大家の場合はわからない。彼はまだ、十分な財産を築いたとは言えないかもしれない。いずれ、野球の指導や解説以外の仕事をしたいと思うときが来るかもしれないのだ。

残りの人生で野球以外に何ができるのか……

日本の野球選手が本拠地のファンの前で引退試合をすると、面白い光景が見られる。花束をいくつも受け取った後、主役の選手はチームメイトから胴上げされ、私に言わせればいい加減に聞き飽きたスピーチをする。みんながみんな、同じことを言うのだ。

「長いあいだのご声援、本当にありがとうございました。次は僕が野球に恩返しをする番です……若い選手を指導していきます」

しかし、引退していく選手たちは、本当はこんなふうに言いたいはずだ。

「長いあいだのご声援、本当にありがとうございました。次は指導者か解説者の仕事をいただければ感謝します。野球以外のことは何もわからないし、残りの人生で自分は野球以外に何ができるのか、見当もつかないんです」

全力をつくすことは、決して悪いことではない。いちばん望ましい姿勢だ。ただし、理性を忘れ、やみくもに猛スピードで突っ走ることは、間違い以外の何ものでもない。

大家は自分の人生について、長い目でしっかり考えているようだ。昨シーズンはエクスポズの投手陣で最多勝利をあげ、今年もエースとして十分に活躍できそうだ。それでも、彼の野球人生がそれほど長くないとしても、くだらないテレビ番組に出演して名を汚したり、解説者の席で無知なコメントを繰り返したりする必要はない。私はそんな気がしている。

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