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往年のスターたちの近況報告(MSNジャーナル:2002年7月18日)

恒例となった「サントリーモルツドリームマッチ」に、懐かしいガイジン選手たちが集まった。バース、クロマティ、ブーマー……。日本のファンを沸かせた彼らの近況をお知らせしよう。

スポーツ界で活躍した元選手の名誉を称えることとなると、日本はかなりお粗末だ。外の世界からは、年長者を敬う国と思われているのに、私はいつも不思議でならない。

なかでも、野球殿堂に選ばれた人々の表彰式について、私は長いあいだ不満でならなかった。毎年、首都圏で行なわれるオールスターゲームの前に、ほんの簡単なセレモニーを行なうだけだったのだ。

たいてい、スタンドはまだ埋まっていない。座っている観客も弁当を食べたり、家族や友人と話したり忙しい。グラウンドでセレモニーをやっていることに気づきさえしないか、とくに注目するわけでもない様子を、私はいつも悲しく思っていた。

だから、今年は日本のプロ野球界が前進したのを見て、うれしかった。7月12日に東京ドームのオールスターゲーム第1戦で、5回終了後に試合を中断し、今年の野球殿堂入りの表彰式が行なわれたのだ。

2002年のオールスターに出場する両軍の監督と選手が、内野グラウンドまで出て往年の名選手たちを取り囲む。そして、ドームとテレビの前のファンが見守るなか──見るしかなかった、とも言えるが──長年にわたって野球に多大な貢献してきた人々が、その功績を称えて表彰された。

新しく殿堂入りした元選手は、田宮謙次郎、山内一弘、鈴木啓示、そして福本豊の4人である。

福本は、私が思うに、日本で最高の選手と言っても大げさではあるまい。1970年から13年連続でパ・リーグの盗塁王、通算1065盗塁という輝かしい数字を残している(第2位の広瀬叔功は596個で、469個の差をつけて断トツの第1位だ)。福本はさらに、12年連続でゴールデングラブ賞を受賞し、ベストナインにも10回選ばれた。リーグ最多安打4回、最多2塁打3回、最多3塁打8回、最多得点10回という記録もある。

72年には、打率.301、14本塁打、106盗塁でパ・リーグのMVPを受賞。76年の日本シリーズでも打率.407、2本塁打、6打点でMVPに輝いた。76〜78年に阪急ブレーブスが日本シリーズ3連覇を果たしたときの原動力は、間違いなく福本だった。

福本豊 VS 村田兆冶の再現

この「小さな巨人」(現役時代は身長169センチ、体重68キロ)に、私は直接お祝いを言うことができた。7月15日、東京ドームで行なわれた「サントリーモルツドリームマッチ2002」に福本も参加したのだ。

今年で10回目を迎えるこのイベントは、最強軍団を称するOBチーム「モルツ球団」が、毎年さまざまなチームと対戦する。今年の相手は、やはり有力なOB選手を集めた、その名も「ワールドパワーズ」だ。

54歳になった福本は、ワールドパワーズの1番打者。対するモルツ球団のマウンドは、ロッテオリオンズの元スーパーエース、村田兆冶だ。52歳になった今も、村田は140キロ近いボールを投げる。昨年のドリームマッチでは、ほとんどの打者を怖気づかせ、次々に三振を奪った。

ところが、小柄な福本は少しもひるまなかった。ライトの頭を越えた打球はお得意の2塁打となり、攻撃の火蓋を切った。私はデ・ジャヴを見ている気がした。阪急ブレーブスが日本最強のチームで、福本が世界一のリードオフマンだった、黄金時代の西宮球場の再現だ。

7月15日の東京ドームには5万人近いファンが集まり、福本をはじめ、往年のスターたちの魔法をかいま見た。今年はとくに、6人の「外国人」OB選手が招待され、日本人のOBとともに懐かしい光景を繰り広げた。

ランディ・バースはモルツ球団に毎年参加しているが、他の5人は久しぶりのユニフォーム姿だ。ファンを大いに沸かせた彼らが日本に戻ってきて、昔の片鱗を見せてくれた。日本で彼らに同行した私から、彼らが「今どこで何をしているか」を紹介しよう。

カウボーイ議員/ランディ・バース 48歳 阪神タイガース(1983〜88年)1塁手

日本で最高の外国人選手として、バースの名前を挙げる人も多い。85、86年に2年連続3冠王(85年:打率.350、54本塁打、134打点。86年:.389、47本塁打、109打点)。85年にはセ・リーグと日本シリーズでMVPの2冠も達成した。86年の.389はシーズン打率の日本最高記録で、現在も破られていない。

6年間の通算打率は.337。本人は現役を続けたかったが、息子ザカリーの脳腫瘍の治療のためにアメリカへ戻ったことを理由に、阪神を解雇されてしまった。

バースは2001年に再婚して、ふたたび父親になる日を待ち望んでいる。彼とケリーは12月9日に1人目の子供が生まれる予定だ。ザカリーは脳腫瘍から奇跡的に回復し、2000年に結婚。妹のステイシーも2001年に結婚した。

バースは、今も生まれ故郷のオクラホマ州ロートンに住んでいる。小さな小さな田舎町で、地元では「昔の仲間を忘れない男」として評判が高い。広大な牧場を所有して牛を飼育しているほか、2001年には友人たちの勧めで地元の選挙に出馬。バース議員となった。

「2週間で給料は115ドル(約1万3000円)。こんなに忙しい仕事だと知っていたら、選挙には出なかったのに。3年の任期が終わるのが待ち遠しい」

スポーツ・トーク番組の司会者/ウォーレン・クロマティ 48歳 読売ジャイアンツ(1984〜90年)外野手

ジャイアンツの外国人選手では、50年代に素晴らしい活躍をしたウォーリー与那嶺(与那嶺要)に続き、抜群の人気を誇る。89年にセ・リーグのMVPを獲得。この年の打率.378は、セ・リーグのシーズン打率歴代2位の記録でもある。7年間の通算成績は打率.321、171本塁打、558打点だった。

現在は独身で、フロリダ州ハリウッドに在住。近くには3人の子供、クリス、キャンディス、コーディー・「オウ」が住んでいる(コーディーの名前は、ジャイアンツ時代の監督でクロマティが尊敬する王貞治の名前をもらった)。

クロマティはいつもチームを盛り上げていた。現在は毎週末、マイアミのWQAMラジオ560でしゃべりまくっている。土曜日と日曜日に、フロリダ・マーリンズの試合前に1時間半のスポーツ・トーク番組「トーキン・ハードボール・ウィズ・クロ(クロと一緒に野球の裏側まで何でも語ろう)」の司会を務めているのだ。平日はウォーレン・クロマティ野球スクールの仕事がある。

エージェント/グレッグ・「ブーマー」ウェルズ 48歳 阪急ブレーブス・オリックスブレーブス、オリックスブルーウェーブ、福岡ダイエーホークス(1983〜92年)1塁手、指名打者

84年に阪急はパ・リーグで優勝し、ブーマーはMVPに選ばれた。この年は打率.355、37本塁打、137打点で、(王貞治を含めなければ)外国人として初めて3冠王になった。首位打者は89年にも(.322)、打点王は87年(119打点)と89年(124打点)にも獲得している。日本での10年間で.317の打率を残した。通算277本塁打と901打点は、外国人選手として最高記録である。

現在はジョージア州カーターズビル(アトランタから北西に約65キロ)に住み、日本でプレーする選手のエージェントをしている。これまでにダーネル・コールズ、ライアン・トンプソン、ジミー・ウイリアムズ、トニー・ミッチェル、ナイジェル・ウィルソンの代理人を務めた。

身長198センチ、今や体重160キロ以上の大男だ。エージェント稼業をかじっているのは、日本に毎年戻ってくる口実になるからだ、と笑う。

「実はエージェントより、ミカのお抱え運転手をしている時間のほうが長いんだ」

ミカは16歳になる愛娘で、鷲のように鋭い目に入れても痛くないほど、かわいがっている。日本のプロ野球史上、1シーズンに40本以上ホームランを打ちながら三振は40個より少ないのは、ブーマーだけという鋭い目も、今や娘のことしか見えない。

ゴルファー/ラルフ・ブライアント 41歳 近鉄バファローズ(1988〜94年)外野手、指名打者

三振にMVPと言えば、景気よくバットを振り回していた、この男を忘れてはいけない。89年に49本塁打(この年はMVPも獲得)、93年に42本、94年に35本と3回、ホームラン王に輝いている。

一方で、大柄なラルフは三振の記録も毎年のように更新した。93年には204個の三振を喫し、1シーズンの日本記録を達成。通算1186三振(わずか773試合で!)は歴代13位だ。日本のほとんどのスラッガーと比べて、2〜3倍のペースで三振していた計算になる。通算249本塁打と1186三振を合わせると、通算打数(2794)の半分以上を占める。

気さくなブライアントはジョージア州フェアバーン在住で、「投資で生計を立てている」。本人によると、元ガイジン選手でそんな生活ができるのは、数えるほどだとか。

「今はゴルフが仕事だ。引退後に初めてラウンドしたときは、166ぐらい叩いた。それ以来、毎日のように練習を積んで、今では70台後半から80台前半で回る」。現在は独身。

不動産業者/ジョン・シピン 55歳 大洋ホエールズ(1972〜77年)、読売ジャイアンツ(78〜80年)2塁手、外野手

人間は自分の人生をどこまで変えることができるか、シピンはその生きた証である。日本では安定したプレーをする堅実な選手として知られていた。9年間で打率.297、218本塁打、625打点。打撃のタイトルこそ1度も獲っていないが、チームメイトからは絶大な信頼を集め、積極的なプレーがとくに評判だった。

大洋時代は、その長髪とあごひげから「ライオン丸」と呼ばれていた。外見と同じく振る舞いも豪快で、グラウンドでは相手が誰でも自分をバカにする態度は許さず、すぐ乱闘になることでも有名だった。

とはいえ、東京で知り合った美しいジゼルと結婚し、アリーシャとカマラの2人の娘に恵まれてからは、あのシピンも落ち着いた。今では想像もつかないほど穏やかな紳士になった。

今回のOB試合で、敵の投手が背中をかすめるボールを投げたり、ぶつけられたりしたら、マウンドに突進するのかと質問したところ、彼はすぐに否定した。

「まさか、まさか。そんなことをするには年を取りすぎた。それに、大人になったからね。逃げるか、1塁に走るだけだ」

現在はカリフォルニア州ソケル(モンテレーの近く)に住み、ジゼルと共同で経営する不動産業が大成功している。

俳優/ブラッド・「アニマル」レスリー 43歳 阪急ブレーブス(1986〜87年)右投手

今回、来日した外国人OB選手の中で、アニマルは日本でプレーした期間がいちばん短い。しかし、その分、中身の濃い強烈な印象を残している。86年にブレーブスの抑え投手として42試合に登板。5勝3敗、24セーブ、防御率2.63と活躍した。

だが、彼を特別に際立たせたのは、あの巨体(身長198センチ、体重110キロ)とグラウンドでの熱すぎるアクションだった。抑え投手として最後のアウトを取ると、アニマルは頭のねじが外れてしまったかのように見えた。

マウンドで飛び跳ね、ベンチに戻るバッターに向かってピストルで撃つ真似をして、味方のキャッチャーの顔や胸を大喜びで叩きまくる(キャッチャーは試合が終わると、マウンドに駆け寄って勝利を祝うどころか、チームメイトに虐待されまいとダッシュで逃げていた)。

日本で短い選手生活を終えると、陽気なアニマルは有名コメディアン、ビートたけしに気に入られて、彼の番組「風雲たけし城」に出演した。タレントとして経験を積んだ後、ハリウッド(正確にはカリフォルニア州シャーマンオークス)に帰ってからも、エンターテインメント業界の第一線で活躍している。

出演した映画は、『ミスター・ベースボール』『リトル・ビッグ・フィールド』『SPACE JAM』など15本。コマーシャルにもいくつか出演している。

「(アメリカの)コマーシャルは、再放送のギャラが入るからうれしいね。日本でも何本かコマーシャルに出たけど、いくら再放送しても、出演料は最初にもらったきりだ。俳優にとって公平なシステムではない」

シアトル・マリナーズとオークランド・アスレチックスの「ファンタジー・ベースボール・キャンプ」(OB選手が素人の参加者に野球を教え、最後に試合をする)にも、積極的に参加している。暇を見つけては、息子ルーク・ケンタロウ(5)の野球の相手をする毎日だ。「妻のチホはロサンゼルスの暮らしがとても気に入っている」そうだ。

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