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過ちに寛大すぎる国、厳しすぎる国(MSNジャーナル:2002年3月27日)

先日、ロッカールームで同僚のバットとグラブを盗んだメジャーリーガーが解雇された。しかし、すでに復帰も近いという。日本なら事実上、球界を追放されても不思議ではないが、悲しいことに、アメリカのスポーツ界は犯罪に「寛大」なところだ。法律上の問題さえ片付いてしまえば、翌日には何もなかったかのようにユニフォームを着ている。

昨年7月、私はシアトルでバート・キャンパネリスに会った。2人ともMLBオールスターゲームのために来ていて、偶然、同じホテルに滞在していたのだ。私たちはロビーで抱き合い、少し話をしてから、エレベーターに乗ってそれぞれのフロアで降りた。

私は幸運にも、ニッポン放送でラジオ中継の仕事があり、シアトルに行くことができた。一方、キューバ生まれのキャンピーは、"サマークラシック"に毎年招待されている。彼はメジャーではかなり知名度が高く、オールスター週間に開催される大規模なカードショーでサインをすることになっていた。

1964年4月23日、キャンパネリスはメジャー初打席の第1球目をスタンドに叩き込むという、華々しいデビューを飾った。メジャー史上、8人しかいない快挙である。カンザスシティー・アスレチックスの一員として出場したその試合では、もう1本ホームランを打っている。デビュー戦の2本塁打はメジャー最高記録で、ほかに2人しか達成していない。

68年にアスレチックスがオークランドに移転した後、キャンパネリスはア・リーグ屈指のショートに成長した。アスレチックスがワールドシリーズ3連覇を果たした1972~74年には、リードオフマンとして勝利に貢献した。ア・リーグの盗塁王も6回獲得し、83年に19年間の輝かしい現役生活を終えた。通算盗塁649個は、引退するときはメジャー第7位の記録だった。

87年にキャンパネリスは西武ライオンズのコーチとして来日したが、ほとんど騒がれることはなかった。どんなに偉大な元選手が身近にいるか、日本人は気づいていなかったのだ。

もちろん、私も含めて、一部の人はよく知っていた。キャンピーも、わかっているマスコミ(主に海外のメディアだった)は自分にふさわしい敬意を払ってくれたと、感謝していたことだろう。

ワールドシリーズの指輪を「盗まれた」

しかし、彼は日本で1つだけ、実に不運な経験をしている。それは、どんなに幸せな思い出も、すべて吹き飛ばしてしまうような出来事だった。昨年の夏に会ったときも、彼は当時の話を持ち出した。13年近く前も私は繰り返し聞かされたが、そのときと同じくらい興奮しているように見えた。

「あいつらが俺の指輪を盗んだ。選手かコーチか、どちらかだ。○○と××に違いない(名前は伏せておこう)。考えてみろ、自分のチームメイトに盗まれたんだぞ。ビッグリーグでは絶対にありえない。日本は幼稚だ、プロじゃない」

1988年4月28日、キャンパネリスはライオンズの2軍と金沢に遠征して、イースタンリーグの読売ジャイアンツ戦に臨んだ。試合後、彼は大金とクレジットカードを入れた財布がないことに気づいた。しかも、3個持っていたワールドシリーズの指輪のうち、2個が一緒に入っていたのだ(1個はその数年前に、キューバで盗まれていた)。

最初はホテルの部屋に忘れたのかもしれないと思い、球団にもそう報告した。しかし、ホテルを探しても見つからなかったとき、キャンピーは、財布を球場に持って行ったことを思い出した。グラウンドコートのポケットに入れて、ダグアウトにかけておいたという。そこなら大丈夫だと思ったのだろう。

大切な財布を最後にどこで見たのか、本人も記憶に自信がなさそうだったので、球団は財布と指輪を「紛失した」と警察に届けた。だが、キャンピーは「盗まれた」と確信していた。しかも、はらわたが煮えくり返ったのは、犯人はチームメイトだと思っていたからだ。

球団は、キャンピーの主張を鵜呑みにするわけにもいかなかった。盗難事件だと認めるのをためらい、警察に正式な捜査を依頼するのも渋った。裏切られただけでなく、見捨てられたようにも感じたキャンピーは、頭に血がのぼったまま、シーズン途中の88年6月1日に日本を去った。昨年夏の話ぶりからすると、事件のことを忘れても許してもいないことは、明らかだった。

ロッカールームの泥棒は最低の行為

こんな話を思い出したのは、先日、ニューヨーク・ヤンキースがルーベン・リベラを解雇したというニュースを聞いたからだ。理由は、デレク・ジーターのロッカーからバットとグラブを盗んだこと。リベラは、自分が盗んだことを認めてグラブを返し、その2日後の3月11日に解雇された。シーズン途中の契約終了に伴い、28歳の外野手は2002年の年俸100万ドル(約1億3000万円)のうち80万ドルを差し押さえられた。

1990年にヤンキースに入団したリベラは、最初から「いちばんの有望株」と注目されていた。同僚のバーニー・ウィリアムズは言う。「彼ほど肉体的な才能に恵まれたやつは、見たことがない。何でもこなせる。潜在能力は抜群だ」

残念ながら、リベラはその優れた肉体能力に見合う、精神力や道徳観を持っていなかった。評判どおりの活躍ができなかった理由も、そこにあるのだろう。メジャー出場562試合で、打率.218、ホームラン58本、185打点と、成績はふるわない。しかし、この春のオープン戦は.350と絶好調で、今年こそ飛躍の年になりそうだと期待が高まっていた。

リベラが解雇された直後に、ほとんどのスポーツ記者は、「自分で人生の幕を下ろした」「自ら死刑宣告を下した」と非難した。

ニューヨーク・ポスト紙のトム・キーガンも厳しく断罪した。「ロッカールームの泥棒は、スポーツの世界で軽蔑すべき行為の中でも最低だ。負け犬より、途中であきらめる卑怯者より、ずるをする者よりひどい。他人の妻を欲しがる奴、酔っ払い、ドラッグ中毒、被害妄想、でしゃばり、変質者、神に背いた狂信者、フロントのスパイ、クラブハウスの情報を漏らす奴、知ったかぶりの新人、言い訳屋、リトルリーグの鼻持ちならない父親たち……それ以下だ。とにかく最低だ」

獄中でメジャーリーグと契約した盗塁王

ニューヨークの記者は口をそろえて、リベラは終わったと言った。球界では二度と使ってもらえないだろうと思ったのだ。

しかしアメリカでは、野球は単なるビジネスであり、道徳的な行為は求められない。実際、複数の球団が、地に落ちたパナマ人選手に興味を示している。テキサス・レンジャースはマイナーの練習に参加することを認め、10日間、ようすを見てから契約するかどうかを決めるとしている。

あってはならないことだ。しかし、アメリカのスポーツ界は、人格によほど問題がない限り、誰とでも契約することで悪名高い。たとえば、スティーブ・ハウという投手はドラッグで7回逮捕されたが、そのたびにどこかの球団に拾われた。選手がレイプやドラッグなどの容疑で逮捕されても、実際に刑務所へぶち込まれるまで、球団は「ノーコメント」でかわす。そして、うまく有罪をまぬがれた選手は、その翌日から何もなかったかのようにグラウンドへ出るのだ。

ロン・レフロアが凶器を使用した強盗罪で服役中に、デトロイト・タイガースのスカウトが、連邦刑務所の野球場でベースからベースへと走り回る姿に目をつけた。レフロアは出所前にタイガースと契約。1974~82年にメジャー屈指の俊足として鳴らした。78年にはア・リーグの盗塁王を獲得し、それ以外も、9シーズンのほとんどは最後まで盗塁王を争った(80年にリッキー・ヘンダーソンが100盗塁でタイトルを手にしたとき、レフロアは97盗塁だった)。

日本では、逮捕されたら即退団・解雇

想像したくないことだが、88年に選手かコーチが本当にキャンパネリスの貴重な指輪を盗んだとして、もし逮捕されていたら、その人は今も球界にいるだろうか。

2000年10月に、読売ジャイアンツの控え捕手だった杉山直輝が宮崎のバーでホステスの女性に無理やり抱きついたうえ(よくあることではないだろうか?)、スニーカーで彼女の頭を殴ったとして逮捕された。

もちろん、酔っ払ったうえでの狼藉は、決して甘く見てはならない。しかし、彼をただちに解雇して(自分から退団届けを出したのだが)、球界から事実上、追放したのは、果たして妥当な処分だったのだろうか。結局、女性は被害届けを取り下げ、杉山はいかなる容疑でも「有罪」になっていない。

日本では、間違いや犯罪を犯した選手に厳しい処分を下す場合が多く、ときには理不尽にさえ思えるときもある。確かに日本は厳しすぎるかもしれない。しかし、海の向こうでは重大な犯罪者が何度も許され、歓迎されて復帰するのを見ていると、私はどちらかを選べと言われれば、やはり日本のやり方を選ぶ。

ところで、キャンピーの大切な指輪がどこにあるか、ご存知ないだろうか。もし匿名で私に送ってもらえれば、必ず本人に返す。何も詮索はしないから。

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